星に願いを。
えみる:終末世界へのタイムトラベルツアー中に旅行代理店が倒産した物語です。
およそ四千文字の短編です。
山田:『第六回一週間小説コンテスト』に参加しています。
お題:「〇〇のはじまりだった。」という一文で、作品を締めくくる。
『大変申し訳ございません、山田九十九さま。弊社、倒産いたしました』
「は?」
わたしはにわかには信じがたい言葉を聞くことになった。
「なによそれ、自力でここから帰れというの?」
『申し訳ありませんが』
感情のない電子音声で、淡々と告げられる。
「……ここがどこか、わかって言っているの?」
サポートロボットは眼を光らせながら、決まりきった返事をした。
『当然でございます。当ツアー『ポストアポカリプスへようこそ!』は、汎用化した意志量子力学複合効果を用い、マイナスイオンと水素水を触媒とすることで、従来のものより非常に安心安全なタイムトラベルを実現いたしました』
そうだ。これは夢じゃない。彼氏を寝取られて自暴自棄になったわたしは、誰もわたしのことを知らない、誰もわたしのことを嘲笑わない、そんな世界に行きたかった。ひとりになりたかった。あんなやつのことなんかもう忘れたかった。いつもいつも謝るのが遅いんだ、あいつは。だから、LINNEもFaithbookもアカウントを消して、携帯を海に投げ、指輪を火山に捨てて、有り金を全部ぶっこんでこのツアーに参加した。
30日間の終末世界旅行(ポストアポカリプスツアー)、食料やその他諸々は『BoS』と呼ばれるフレンドロボットの中に格納されていた。それは一種のシェルターの代わりにもなり、安全安心な宿泊を保証する。自律で歩けるから、散策しても困らない。いざというときには、バスにも変形する。
一日目を思い出す。
『やぁ、はじめまして。ボクは――』
「うるさい。お前もわたしを笑うのか」
やさぐれていたわたしは誰の声も聞きたくなくて、光の速さで彼の音声を切った。サポートロボットの本体はいわばテント状のシェルターの頂点に存在しており、中から見上げると、下半身が丸見えだった。
「ようやくひとりになれた」
わたしはシェルターから出て、茫漠とした終焉の世界を見渡した。座標はどこかわからないが、見渡す限りの砂の海。いくつか見えるオブジェクトは、まだ崩壊しきっていない建物のように見えたが、わたしの知っている文明のそれは大きく異なっていた。もしかしたら、ヒトと呼ばれる種族の後に、他の誰かがこの惑星を支配したのかもしれない。そこには大きな戦いがあったのかもしれない。計り知れない悲しみも、例えようのない喜びも、想像もできないほどの知性も、この星の上にはあったのかもしれない。
でも。
「ぜんぶ、なくなっちゃうんだよ」
砂をすくい上げれば、わずかな隙間からさらさらと堕ちていく。
それに対して、わたしの抱えていることのなんとちっぽけなこと――、とはならなかった。わたしがそう思うことを願って、この終末旅行に参加をしたのだけど、わたしはこれぽっちもそう感じていなかった。この器は悲しみで寸分の隙間もなく満たされており、その器以外のことはわたしにとって少しも重要ではなかったからだ。
体操座り。静かな世界。望んだ世界。ひとりぼっちの世界。
半日後、わたしはサポートロボットのミュートを解除した。
※
それからわたしは、この滅びた大地をサポートロボットと一緒に巡っていった。かつて街であったであろう場所、川が流れていたであろう場所、海であったであろう場所、そのすべてが砂塵の大地と化していた。生き物は、小さなトカゲですら見当たらなかった。
「ねえ、ここにはもう生き物っていないの?」
『君はそれを望んだんだヨ』
「まあ、そうだけど」
『でも――』
サポートロボットの眼がぺかぺかと光る。
『この世界の原種の生き物はいなくても、同じ時間座標を指定して飛んでくる者がいるかもしれないヨ。もっともそんな者がいたとしても、出逢えるかどうかとなると、この広大な砂漠の砂の中からある一粒を探すような、天文学的な確率だけどネ」
顔を上げると、巨大な太陽が地平線に沈み込むところだった。見渡す限りの茫漠な砂の世界。もし、誰かに出逢えるとしたら、もしそんなやつがいるとしたら、きっとすごく気が合うことだろう。
※
旅の途中、土煙を上げてがしょんがしょん動く巨大構築物を見かけた。腰を抜かしてしまったわたしに、サポートロボットが声をかける。
『あれは、文明末期に製造された巨大移動都市らしいヨ。詳しいことはわからないけれど、どこかに向かっているようだネ』
「どこか……? この惑星にそんな意味のある目的地があるの?」
『だから、うろうろしているんだろうネ』
※
『医療システム『クレイドール』を起動するヨ』
「いつも思うけど、どういう仕組みなの?」
『現在のこの惑星は、まともに生命体が存在できる環境ではないヨ。だから、毎夜、この揺り籠(クレイドル)に入ってもらって、遺伝子レベルでコピーを取って、必要な箇所を修復するヨ。その後、土塊人形(クレイ・ドール)を造り上げて、君の情報を転写するんダ。毎日身体を入れ替えれば、タンパク質のからだでも耐えられるヨ。その都度、極限環境に対する免疫因子も組み込んでいるしネ』
「放射線とか大丈夫なの? 急性症状とか出たり」
『大丈夫だヨ。っていうか、ちゃんと事前説明受けてたノ? 文明崩壊から経過した時間を考えれば、あのころにばらまかれたものはほとんどが減衰しているからネ』
「わたしのからだが土塊人形だとして、本体は現代なの?」
『そうだヨ。ツアーが終わり次第、記憶のインストールとからだの機能停止解除が行われる予定ダ』
「現代のみんなは、何をしているのかなぁ」
『なにをしてもそれを知ることのできない環境に、君は望んで来たんだヨ。本当に不可解なことを言うネ』
※
そして、ツアーも終盤に差し掛かったころ。さすがに30日間も何もない極限環境にいれば、怒りも悲しみも多少は落ち着いてくる。情緒不安定になっている自分が、アホらしくなってくる。こんな環境を経験したのだから、あれだけモノと情報に溢れた現代に帰れば、なんでも出来そうな気がしていたのだ。
そんなとき。
『大変申し訳ございません、山田九十九さま。弊社、倒産いたしました』
わたしはこの世界から帰れなくなった。
サポートロボットはそのキャラクターめいた喋り方をやめ、業務連絡としての口調で、旅行代理店が倒産し、旅行者は自力で帰らなければならないことを主張してくる。わたしは圧倒的な現実の圧力に倒れそうになる。
『申し訳ございません』
「わ、わたしの現代のからだは!?」
『申し訳ございません。特約条項により、一週間のシステム維持が保証されておりますが、それ以上は保証できかねます』
「……そんな、」
『なお、サポートロボットへの多世界電磁誘導システム『マクスウェル』による電源供給もいずれは停止させていただきます。多世界ネットワークシステム『シャノン』も接続できなくなりますので、それまでになんらかの手段で帰還していただきますようお願い致します』
わたしは呆然とした表情で、いまわたしがいる世界を見回した。ここには生命が生きていくために必要なものが、なにもない。シェルターとしてのサポートロボットはいるが、いつまで動くかわからない。食料や飲料水の備蓄は――、自分が30日間の旅行を『終えようと』していたことを思い出す。もう、緊急時のものしかここにはない。
『申し訳ございません』
「……」
『申し訳ございません』
「……」
『申し訳ございません』
※
わたしは、歩き出す。
何千年、何万年、何億年と生き物の痕跡がなかった大地に、足跡を刻んでいく。
※
「ねえ、お婆ちゃん。そのお話、それからどうなったの……?」
わたしは眼を醒ました。どうやら懐かしい話を孫達に聞かせてやっているあいだに眠ってしまっていたらしい。思考回路には薄いヴェールのようなものがかかっていて、意識は不鮮明だけど、それはもう数年続いているものだ。もうあのころのような大冒険はできないなと苦笑する。眼は半年前の大病を患ってから見えなくなっている。わたしは枯れ枝のような腕を動かして、孫達の頭を撫でる。
「あったかいねぇ」
わたしは、あのころ、ひとりになりたかった。
何にもない未来に取り残されて、わたしは進むしかなかった。この世界では、生ぬるい感傷など何の意味も持たなかったから。野垂れ死んでもよかったはずだ。けれど、わたしの身体は必死にもがいていた。それから何年が経っただろう、もうだめだと思ったその時、空から降ってくる彗星があった。砂煙で覆われた空を横切る鋭い矢。クレーターへと走ると、そこにはこのタイミングで落下してくるように設計してあったタイムカプセルがあった。『未来に取り残されたひとりの女性を救うプロジェクト』。発起人の男性の名前は……、思い出したくはないものだった。ばか。謝るのが数億年遅い。
「ねぇ、お婆ちゃん?」
何もなかった世界に、わたしはこんな素晴らしいものを生み出すことができた。生命のぬくもり。この穢れた惑星がずっと忘れていたものを、わたしは、ようやく。
「それからどうなったのかって」
わたしの灯が消えようとも、この『物語』は終わりはしない。
「それから、あらゆることが始まったのさ」